新聞配達NHK放送の反響のページ


北杜市・矢崎茂男 様より

 ~新聞配達生かす地域の「教育力」~

◇南アルプス市の旧芦安村では、中学生が集落内の新聞配達を行うことが、半世紀にわたる伝統になっているという。子どもたちの成長と、地域の人との交流をねらいとして引き継がれているのだそうだ。
◇私も、中学二年生から高校三年生の始めまで新聞配達を経験した。三十年前の話である。分不相応のエレキギターの購入資金をためることが動機だった。当時の報酬は三十数件の配達で、月二千五百円。ギターとアンプを買うには、少なくとも二年間の我慢が必要だった。新聞配達はつらい。台風の日も大雪の朝も、自転車のかごに載せた三十数部の新聞を、担当の家々に配達しなければならない。しかし苦労ばかりではなかった。毎朝のように玄関先で、「ご苦労さん!」と声をかけてくれたおじさんがいた。元旦の朝、お年玉を用意してくれたおばさんがいた。「おひょうございます」のあいさつの大切さも、新聞配達から実体験として学ぶことが出来た。受験勉強に専念するため配達をやめたとき、安堵よりも寂しさを感じたことを覚えている。
◇早朝、決まった時刻に起床し、寝ぼけまなこをこすりながら新聞を配り続けるのは、想像以上につらい仕事である。それを是として、子供たちに課した芦安村の大人たちの判断は卓見であると思う。子どもたちが得る収穫は、有形・無形に膨大である。子どもの減少で休止中だが、旧御坂町の黒駒地区でも、かつて同様の取り組みが行われていたそうだ。これらの地域の優れた教育力に、学ぶべきことは多い。

   (2009年5月8日付け 山梨日日新聞 「私も言いたい」)



●千葉県山武市 在住 H.M 様からのお手紙

 「もしも私の話が聞いてもらえるならば・・・・・・・」


 突然の手紙をさしあげる失礼をお許しください。私は現在千葉県に住む70歳の老人です。
 5月7日付けのNHK甲府の番組で中学生全員で新聞配達をする貴校の様子が紹介されました。
 私は久しぶりに胸が熱くなる思いを抑えることが出来ませんでした。
なぜなら、私自身が岩手の生まれなのですが、戦後の貧しい時代で、親の力で高校へ進学させてもらうことは出来ませんでした。そこで、自分なりに計画を立て、上京して新聞店に住み込み新聞配達をしながら、親には一銭のめんどうもかけず、独力で高校・大学を卒業することが出来ました。
 私は、足かけ10年間新聞配達をし続けましたが、その間にはとてもとても大切な事を学びました。うれしいことも苦しいこともありました。それらは一人の人間が独立するに当たってさけては通れないものばかりでした。・・・・(以後略)